会長挨拶
名前の通り、鹿児島の加世田市(現南さつま市)出身の九州男児です。
父は弟子を6人持つ大工の棟梁でしたが、私は戦後のこれからはビル建設の時代だと考えて23歳で大阪のサッシ会社に就職。3年ほど勤めた頃、当時のトヨタ自動車の本社ビルを手がけるために名古屋に出張したのを機に、お客様である親会社の名古屋営業所長の勧めで昭和31年に26歳で独立しました。
最初は一番弟子と二番弟子とともに創業して徐々に人数も増え、27歳で結婚して4年後に瑞穂区に新居兼事務所兼寮を建て、つねに15人ほどが住み込んで寝食を共にしました。
当時は「サッシ屋で家を建てた人はいない」などと言われた時代でしたが、弟子たちに技術を習得させて家庭を持たせ、2~3人の職人をつけて独立させたこと。みんなに住宅資金を貸し付けてマイホームを実現させたこと。何より、仕事と技術に誇りを持たせてやれたことが自慢です。
おかげさまで大きな仕事では60人ほどの弟子や職人たちが集まり、中日ビル、中電ホール、毎日ビル、中央郵便局など名古屋のほとんどの大きなビルのサッシを手がけることができました。オイルショックなどで大変な時代もありましたが、「誠実・技術の向上・安全・納期厳守」のすべてに責任を持ち、信用という無形の財産と誇りを胸に、堂々と取付屋の使命を果たすことができたと自負します。
現在、上加世田工業は息子たちが引き継ぎ、さらに次世代も育ちつつありますが、これからも成長をシッカリと見守り、お客様の信頼に応え続けていくことを念じております。