内助の功
主人は故郷を同じくする初恋の人です。主人の独立後は、取付業が誇ることのできる職業となるように、会社経営を頑張って支えてきました。
結婚したのは23歳でしたから、年上の職人さんもいる中、まさに兄弟と暮らす心地で、寮に住み込む15人以上の主人の弟子たちの食事や洗濯の世話や健康管理に気を配りました。自分の子供たちには職人さんたちをお兄さんと呼ばせ、みんなの仕事のおかげで生活できる尊さを教えると同時に、人様の大切なお子さんを預かる気持ちを忘れず、時には問題児もいましたが、ひたすら真心で母として、姉として接しました。寝食を共にしてこそ、お互いの大切さを理解でき、長く働いてくれるものと信じていました。
主人に営業回りと現場での指導に専念してもらうため、工事の見積書の作成や集金、資金の工面、社会保険や経理、税務などの事務もすべて私の役目。時には大変な思いもしましたが、もし二人の息子が後を継いでくれなくても、主人の弟子たちの誰かが成長して継いでくれるような心づもりで努力しました。
他にも、みんなが円満な家庭を築くことが大切だと考え、結婚の仲人も8組ほど務めた他、会社の方針として年1回の慰安会は家族も全員参加とするなど、福利厚生の充実にも力を注ぎました。今も会社の慰安会とは別に、外注さんも家族ぐるみで参加してもらう「八千代杯」というボーリング大会を毎年、開催しています。こうした機会に集まってくれたお子さんたちを、おばあちゃんとしてしっかり抱きしめ、お父さんの取付の仕事に誇りを感じてもらえればと願っています。
幸い、息子たちは二人とも主人の仕事に誇りを持ち、同じ道に進むと決めてくれたことで母親としての達成感を感じ、主人に対しても感謝しています。
60年余り苦しい時も乗り越えてこられた信念は、
一、健康 二、誠実 三、真心 四、全てを愛すること。
信頼互助、継続は力なり! 去る者は追わず、来る者は拒まず、話し合う心。辞めていく人もいましたが、一度は別の道へ去っても、帰ってきてくれた人も大勢います。今でも息子たちのもとに、若い職人さんが「親父がお世話になりました」と挨拶に来てくれたという話を聞くと、真心は通じていたのだとありがたい気持ちで一杯です。
こうして81歳まで現役として一所懸命に努めましたが、今後もゆくりと、そしてしっかりと上加世田工業を見守って参ります。